福岡高等裁判所 平成8年(く)28号 決定 2000年2月29日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、福岡地方検察庁検察官福本孝行作成の即時抗告申立書及び即時抗告理由補充書に、これに対する答弁は、弁護人原田香留夫ら作成の平成八年七月一九日付け、平成九年一月一七日付け、同年四月九日付け、同年六月六日付け、平成一〇年三月三〇日付け、同年八月一〇日付け、同月三一日付け、同年一一月六日付け意見書並びに請求人作成の平成八年一〇月一八日付け、平成一〇年一二月一四日付け、平成一一年九月一六日付け意見書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する(なお、略語は原決定のそれにより、文書等の作成日付けは「年・月・日」により略記する。)。
第一原決定に至る経緯
本件第一審判決から、第二審判決、上告審決定、さらにその後の第一次、第二次再審請求を経て、本件第三次再審請求に至るまでの経緯及び各裁判における審理・裁判書の内容は、概ね原決定が判示するとおりであり、以下その概要を示す。
一 第一審判決
請求人は、捜査段階及び公判審理を通じ、傷害の事実を除き、一貫して犯行への係わりを否認し争ったが、福岡地方裁判所は、昭和五七年九月三〇日、請求人に対し、公訴事実どおりの覚せい罪取締法違反、関税法違反及び傷害の事実を認定し、同人を懲役一六年に処する判決を言い渡した。
右判決の認定した罪となるべき事実の要旨は、
請求人は
第一 韓国から覚せい罪を輸入しようと企て、A及びBと共謀の上、
一 営利の目的で、Bをして、昭和五五年一〇月三〇日、韓国釜山金海空港からの航空機に、覚せい罪約二九四三・七グラムを携帯して搭乗し、同日午後一時五〇分ころ、福岡市内福岡空港に着陸して、これを本邦内に持ち込み、もって覚せい罪を輸入した
二 Bをして、同日午後二時二五分ころ、同空港内の福岡空港税関支署旅具検査場において、門司税関長に対し、右覚せい罪を申告せず、税関長の許可を受けないでこれを輸入しようとしたが、右支署係員にこれを発見され、その目的を遂げなかった
第二 韓国から覚せい罪を輸入しようと企て、Aと共謀の上、
一 営利の目的で、情を知らないAの義弟Cをして、昭和五六年六月一九日、韓国釜山金海空港からの航空機に、覚せい罪約九七八・二グラムを携帯して搭乗させ、同日午後四時三七分ころ、福岡空港に着陸して、これを本邦内に持ち込ませ、もって覚せい罪を輸入した
二 Cをして、同日午後五時一五分ころ、同空港内の福岡空港税関支署旅具検査場において、門司税関長に対し、右覚せい罪を申告せず、税関長の許可を受けないでこれを輸入しようとしたが、右支署係員にこれを発見され、その目的を遂げなかった
第三 A及びDと共謀の上、営利の目的で、税関長に対し申告せずに、韓国から覚せい罪を輸入しようと企て、同月四日午後零時二分ころ、Dにおいて、覚せい罪購入資金として現金二三五万円を携帯して福岡空港から韓国釜山行きの航空機に乗って同国に向かって出国し、もって覚せい罪を税関長の許可を受けないで輸入する目的でその予備をした
第四 同月二五日午後一一時ころから翌二六日午前一時三〇分ころまでの間、福岡県飯塚市内の請求人方自宅において、Dに対し、日本刀等で同人の頭部等を十数回殴打する等の暴行を加え、よって同人に加療約一四日間を要する頭部顔面打撲傷、左肘関節挫創等の傷害を負わせた
というものである(以下、右第一の事実を「B事件」、同第二の事実を「C事件」、同第三の事実を「D事件」といい、これら三件をまとめて「本件覚せい罪事犯」と総称し、同第四の事実を「D傷害事件」という。)。
右判決は、従前の覚せい罪取引に関する、請求人からのアリバイ主張に対し、右主張に沿う関係人の証言は措信するに足りるものではなく、本件覚せい罪事犯の事実認定の妨げとはなりえないとしてこれを斥けた(原決定が、理由第一、一、4で、請求人のアリバイ主張を本件覚せい罪事犯の「各犯行日時」のものとするのは、誤記と認める。)。
二 第二審判決
請求人は、右判決に対し、本件覚せい罪事犯の罪について事実誤認及び判決に影響を及ぼす審理不尽等があるとして控訴の申立てをしたが、福岡高等裁判所は、昭和五八年三月一四日、第一審判決に事実誤認や審理不尽の違法はない等として控訴棄却の判決を言い渡した。
第二審判決は、本件覚せい罪事犯に関し、請求人とAとの従前の交友関係を含め、右犯行の経緯及び犯行状況を詳細に認定するとともに、一審判決が右の犯罪事実において証拠として摘示する、A、D及びBの各証言について、「細部において若干の矛盾点があることが認められないわけではないが、これらの各供述は、いずれも自己の経験した事実を具体的、詳細に述べたもので、迫真性があり、しかもその間に脈絡性を有し、他の関係証拠によって認められる客観的事実関係とも一致し、右のような矛盾点があることによってその全体的信用性を否定することはとうていできないところである。」などと説示している。
三 上告審決定
請求人は、右第二審判決に対して上告したが、最高裁判所第二小法廷は、昭和六〇年三月二五日、上告棄却を決定し、同年四月四日第一審判決は確定した(以下、第一審、第二審、上告審をそれぞれ、「確定一審」、「確定二審」、「確定上告審」という。)。
右決定は、被告人及び弁護人の上告趣意は、単なる法令違反及び事実誤認等の主張であり、適法な上告理由にあたらないとしたものの、「なお、所論にかんがみ記録を調査するに、第一審判決挙示の関係証拠を対比検討すると、同判決判示第一ないし第三の各犯行がいずれも被告人の指示によって実行されたとするAの証言は、その信用性に欠けるところはないと認められる。原審がいわゆる『Eメモ』についての解明を尽くしていないことは所論指摘のとおりであるが、本件の証拠関係に照らすと、右の点は、前記各犯行について被告人の有罪を肯認した原判決の結論に影響を及ぼすものとは認められず、その他所論指摘の諸点を考慮しても、原判決の右認定に事実誤認ないし判決に影響を及ぼすべき審理不尽があるとはいい難く、いまだ刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。」との職権判断を示した。
上告審係属中に、弁護人らから、「請求人が本件覚せい罪の密輸入に係わっていたとする捜査段階における供述や確定一審における証言は虚偽である。」旨のDの偽証告白を内容とした弁護士田中峯子作成の五九・一一・七付け(弁一一三―確定記録二九六三丁)及び弁護士原田香留夫・同田中峯子作成の同年一二・二四付け(弁一二六―本件第三次再審請求原審<以下「原審」という。>には改めて同一三〇として提出されている・本件再審記録一二二五丁)聴取書(以下「D聴取書」という。)、並びにAがDに偽証を働きかけたものとして、AのD宛の書簡一三通(弁一一四の一ないし一一と一三、一四―確定記録二九六五丁以下)の各写しが提出された。これらの要旨は原決定の理由第一、三、2の(一)及び(二)に判示のとおりである。
四 第一次、第二次再審請求
請求人は、福岡地方裁判所に対し、<1>昭和六一年七月二四日、確定一審判決は、本件覚せい罪事犯の事実につき、A及びDの各証言を信用できるとして、これを証拠に有罪を認定したが、右各証言が虚偽であったことが証明されたので、右判決には刑訴法四三五条二号所定の事由があるとして、五九・一一・七付けD聴取書(弁一一三)及び前記AのD宛書簡一三通の各写しを添付して、再審の請求をしたが(以下「第一次再審請求」という。)、同裁判所において昭和六二年三月二七日再審請求棄却の決定がなされ、この決定に対する即時抗告につき、平成五年二月二五日抗告棄却の決定がなされ、<2>またこれと前後して昭和六三年八月六日同様の理由で再審の請求をしたが(以下「第二次再審請求」という。)、同裁判所において、第一次再審請求において主張されたものと同じ内容であるから、不適法であるとして、平成元年一一月九日再審請求棄却の決定がなされ、この決定に対する即時抗告につき、平成五年三月一五日抗告棄却の決定がなされた。
第二本件第三次再審請求
一 平成五年七月一日、請求人は、福岡地方裁判所に対し、確定一審判決の罪となるべき事実中の本件覚せい罪事犯につき、<1>Aは、平成四年九月二六日、弁護士原田香留夫らに対し、請求人が本件覚せい罪の密輸に係わっていたとする確定一審における証言は虚偽であり、確定一審公判係属中にDにも、同様の偽証をなすよう働きかけていたという告白をし、<2>またDが、確定二審判決言渡し後に、前記のとおり偽証告白をしていることを理由とし、刑訴法四三五条六号所定の事由があるとして、再審請求をした。
二 右再審請求における主たる新証拠は、平成四年九月二六日にAの陳述を録音したテープ一巻(弁一二五―原決定が「弁一」と摘示するのは、のちに番号が訂正されているので誤記と認める・当庁平成一一年押第二六号の符号一)及び標題は「速記録」とある右テープの反訳書(弁一二六―原決定が「弁二」と摘示するのは同様誤記と認める・本件再審記録六〇丁)で、そこでのA新供述の要旨は原決定の理由第一、六、2、(一)のとおりであり、そのほかD聴取書二通及びAの前記D宛書簡一三通があり、また原審裁判所は、弁護人ら提出の右証拠や、検察官が弁護人に開示した資料に基づいて弁護人が作成提出した国際通話交換証の写し(弁一六一―同二一四〇~二一五三丁)、「覚せい罪取締法違反被疑事件渡航事実一覧表の作成について」と題する書面の写し(同弁一六〇・以下「渡航一覧表」という―原決定は「一覧表作成報告書(弁一五九)」と摘示するが誤記と認める・同二一三八丁)等を取調べ、またDをはじめF、GことG、HことHらの証人調べを、一部は受命裁判官により実施した。そこでのD新供述の要旨は原決定別紙4のとおりである(ただし、その<5>の一行目に「同年の少し暖かくなったころ」とあるを「同年のまだ暖かい一〇月ころ」と、<8>の八行目から九行目にかけて「料亭に行ったときにIが着ていたから」とあるを「料亭に行ったときに、その前に立ち寄ったI方で、Iが着ていたから」と各訂正する。)。
三 原審裁判所は、平成八年三月三一日、本件について再審を開始する決定をなしたが、その理由の骨子は、次のとおりである。
1 証拠の新規性
<1>A新供述は、確定一審における同人の証言とは、証拠資料としては、重要部分につき内容を全く異にするものであるから、刑訴法四三五条六号の「証拠を新たに発見したとき」に該当し、いわゆる新規性を肯認するのが相当である。<2>D新供述は、確定一審における同人の証言及び捜査官に対する供述調書中、請求人が本件覚せい罪事犯の首謀者である旨の証言と内容を全く異にするものであるところ、上告審において、弁護人らの上告趣意によって主張され、弁護人ら提出の上告趣意書に添付されたDの聴取書二通の内容と実質的に同内容のものであるが、上告審はこれについて証拠調べをしていないのはもとより、事実誤認の趣意について同法四一一条による職権調査もしていないのであるから、右聴取書に新規性が肯定されるというべきであり、また右聴取書は従前の再審請求において新証拠として提出されているが、このような証拠であっても、従前の再審請求においては提出されていなかった「新たな証拠」とともに提出された場合には、同法四四七条二項所定の「同一の理由」による請求とみるべきではないと解するのが相当である。右聴取書は、前記のとおり、従前の再審請求において提出されていなかったAの供述を録音したテープ等とともに「新たな証拠」として提出されたものであるから、なお新規性を失わないと考えられる。したがって、これと実質的に同内容の事実取調べにおけるDの証言(D新供述)もまた新規性を有する。<3>Aの前記D宛書簡一三通は、いずれも、上告審において、弁護人らの上告趣意書に添付され、従前の再審請求において新たな証拠として提出されたものであるが、前記の聴取書と同様の理由からなお新規性は失わない。<4>前記国際通話交換証及び渡航一覧表は、本件再審請求手続の過程で、検察官が証拠開示した証拠の中から、弁護人がその写しを作成し、証拠として提出されたもので、新規性を有する。
2 証拠の明白性について
証拠の明白性、すなわち、刑訴法四三五条六号所定の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうと解すべきであるが、その判断は、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、果たしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したか否かという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価するものであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における原則が適用されるものと解すべきである。
3 本件各証拠の明白性について
(一) 確定判決の証拠構造
確定一審判決摘示の証拠関係によれば、本件覚せい罪事犯の各事実のうち、AがDやBと共謀し、あるいは情を知らないCを利用して右各犯行に及んだことは、客観的証拠に裏付けられており、動かし難い。
請求人が右犯行に共同加功したことを裏付ける証拠は、原決定が「A旧供述」とするAの確定一審での証言、「D旧供述」とするDの確定一審での証言及び検察官調書謄本(確定一審・検一一八、一一九、一二〇)にある供述と、Bの確定一審での証言のみであり、このうちBの証言は直接請求人の関与を裏付けるものではなく、Aの言動を内容とするものであるから、結局、確定一審裁判所は、A及びDの各旧供述を信用できるものとして評価し、右各犯行について請求人の有罪を認定したものとみることができる。
なお、A旧供述の要旨は原決定別紙1(ただし、その<4>の一行目から二行目にかけて「『J』さんに国際電話を入れた後」とあるのは、「『J』さんに国際電話を入れ『Aという男を行かせるから会ってくれ。』と話した後」と、同四行目に「電話番号をメモし、」とある以下同六行目までは、「その後韓国に行ったが結局『J』に会わないまま帰国した。同月二七日ころ、Iが来宅して『J』に電話し、自分が韓国の『J』さんに会っていないことがバレて追及された。その日にまた韓国に行っているが、その後Iに自分で行って交渉してくれるよう頼んだ。」と、<10>の全体は、「同年七月か八月かに、Dが品物を持って来たので、aのI方に運んだことがある。Iから言われて、自動車に同乗し久留米まで行き、喫茶店の前に停めた車の中で、私が持って行った品物を入れ換えたので、その時Iが覚せい罪の取引をしたと思った。」とするのが正しく、17の末文の次に改行して「小倉駅までは、Dに自動車で送ってもらい、喫茶店で待ってもらった。」との、20の第一一行目に続けて、「同月一一日に、Iは私方に来てはいない。」との各一文を加えるのが正確である。)の、D旧供述の要旨は原決定別紙 2(ただし、その<5>の四行目は、「同年八月を第一回目に、同年九月ころ、一〇月ころ、昭和五六年一月ころの四回、韓国でKないしLから覚せい罪を受け取り、日本に覚せい罪を持ち込んだ。」とするのが正確である。)の、Bの確定一審での証言の要旨は原決定別紙3のとおりである。
(二) 新規性が認められる証拠の評価
(1) A新供述
A新供述は、請求人が本件覚せい罪事犯の首謀者である旨のA旧供述を覆す内容となっているところ、A旧供述が具体的かつ詳細であるのに対し、A新供述の内容は抽象的であり、これは重篤な病状下において、本件弁護人らに促される形でなされたものであること、その後間もなく同人が死亡したことによってその供述の真偽を直接確認する方法がないことからすると、A新供述が信用できるものと速断することはできないが、Aは、医師から肝臓癌により死期が迫っていることを告知され、平成四年九月二六日弁護士に本件偽証告白をしており、当時の意識は清明であった上、死を目前にした者の供述は概して信用性が高いとされており、当時の健康状態からすると具体的な供述はそれ自体困難であったことを併せ考えると、その信用性を一概に否定できない。また、Aが請求人を首謀者として自己の刑の軽減を図る利益は大きく、請求人が首謀者であるとの偽証をする動機は十分に存する。
A新供述は、相当程度の信用性を有するものの、それのみで確定一審判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性があるとみることはできない。
(2) D新供述
D新供述は、D旧供述のうち、請求人方自宅で、Aとともに請求人から拳銃で脅され、覚せい罪の密輸入を係属したとする部分、小倉駅でAが請求人に覚せい罪を渡すのを見たとする部分など請求人と覚せい罪の密売を結び付ける証言、AからD事件における覚せい罪の購入資金が請求人から出ている旨聞いたとする部分をいずれも翻し、覚せい罪の密輸入に関して、Aの口から請求人の名前が出たことも、請求人がAから小倉駅で覚せい罪を受け取るのを目撃したこともない、昭和五六年六月二五日から翌二六日にかけて請求人から覚せい罪の隠匿場所を追及され、日本刀で右腕を突き刺されるなどの暴行を加えられ、傷害を負った(D傷害事件)ことから、請求人が覚せい罪の密輸入に係わっていると思い込み、請求人に対する憎しみもあって、ありもしない事実を述べたというものであるところ、その内容は、詳細かつ具体的であって、検察官の反対尋問にも格別の破綻を生じておらず、偽証を行った理由も自然かつ合理的であることに照らすと、その信用性は高い。
(3) 新証拠の総合評価
AとDの各新供述は、互いに補強し合う関係にあり、D新供述の信用性が高いものである以上、A新供述もその信用性は高いものとみることができる。
また、A新供述中には、自分とDの証言を一致させるために、同人に手紙を出したとの部分があり、D新供述中にも、Aからの手紙の中で自分の知らないことは本当と思ったとの部分があるところ、新証拠であるAの前記D宛書簡一三通の内容は、まさにAのDに対する偽証の働きかけにほかならない。
そうしてみると、A、Dの各新供述は、右書簡によってさらにその信用性が補強されているというべきである。
4 新旧証拠による判断
(一) 確定一審裁判所は、A、Dの各旧供述を信用できるものと評価し、請求人の弁解を排斥して、請求人を本件覚せい罪事犯の首謀者であると認定したが、その根幹となるA、Dの各旧供述部分は、(イ)昭和五五年二月上旬及び同月二七日、請求人がA方において、Aの目の前で、韓国の覚せい罪の卸元である「J」に国際電話を入れている、(ロ)昭和五五年七月初めころ、AがDに韓国からの覚せい罪の運び屋を依頼した際、背後に請求人がいると言って脅して同人に承諾させた、(ハ)同年一一月一日にAとDが覚せい罪の密輸入をやめたいと言ったところ、請求人にaの自宅に呼ばれ、そこで拳銃で脅された、(ニ)昭和五六年二月一一日に小倉駅改札口で、Aが請求人に覚せい罪を渡しており、Dはそれを近くから目撃している、(ホ)Aの逮捕後、Dが請求人方自宅に呼ばれ、そこで覚せい罪の隠匿場所を追及され、日本刀で腕を突き刺すなどの暴行を加えられ、傷害を負ったという部分である。
(二) Aの新供述は、その旧供述のうち(イ)ないし(ニ)の請求人の関与に関する部分はすべて虚偽であるとして、これを概括的に覆すものであり、Dの新供述は、その旧供述のうち(ロ)、(ハ)は全くの作り話であり、(ニ)については小倉駅新幹線改札口付近までAを尾行したことは間違いないが、Aが請求人に覚せい罪を渡すのを見たとの部分は虚偽であるというものである。これらのA、Dの各新供述に信用性が認められることは先に判示したとおりであるから、(イ)ないし(ニ)に関するA、Dの各旧供述は、全体としてその信用性に疑いがある。
(三) (イ)の点に関するA旧供述は、昭和五四年一二月下旬ころから、請求人より、覚せい罪の密輸入を実行するため、渡韓したついでに覚せい罪の卸元である「J」に会ってくるように指示されていた、昭和五五年二月上旬、A方を訪れた請求人から、「J」にまだ会っていないだろうと言われ、これに対し、Aが、韓国に渡った際会わずに帰国したのが真相であるのに、韓国に行って会ってきた等と言うと、請求人がA方の電話から「J」に確認の国際電話を入れたため嘘がばれ、右通話後、請求人から、韓国に行って「J」に会ってくるように指示され、Aは「J」の電話番号をメモした、その後、Aは、同月中旬ごろ、韓国に渡ったが「J」には会わず帰国した、同月二七日夕方、A方を訪れた請求人から、まだ「J」と会っていないだろうと言われ、A方の電話から「J」に確認の国際電話を入れた後、Aの方から、できれば請求人の方で韓国に行って「J」に話してほしいと述べたところ、結局、請求人が同年三月三一日渡韓した、というものである。
しかしながら、右A旧供述によれば、請求人が同年二月上旬(前記国際通話交換証から同月五日と特定される。)、A方から「J」に電話をした目的は、韓国で「J」と会ってきた等とのAの弁解の真偽を確かめることにあったことになるところ、Aは前年の昭和五四年一二月二一日から昭和五五年二月七日まで出国した事実はなく、Aの弁解の基礎となった渡韓の事実は存在しないのであり、A旧供述にある二月五日の国際電話の経緯は、Aの創作である疑いが強い。しかも、Aは、確定一審公判において、請求人が同月五日及び同月二七日の両日とも入院していた事実を突きつけられ請求人の訪問の事実の存否を追及された際、請求人がA方を訪問して「J」に電話をかけたとする時刻は夕刻であったと供述しているところ、右電話の時刻はそれぞれ午前一一時、午前九時であること(前記国際通話交換証)から、右供述は客観的事実に反しているばかりか、請求人はわざわざ飯塚市内の医院を抜け出して、北九州市内のA方に赴き、電話をかけたとするのは、物理的には不可能なことでなく、また請求人の病気に詐病の疑いがあるとしても、用件自体に一刻を争うような特段の緊急性はなかったのであるから、極めて不自然なことと言わざるをえない。
(四) (ロ)の点については、A及びDの各旧供述はほぼ一致した内容となってはいるが、D方にAが電話をかけた際に請求人の名前を出して脅したのか、それがD方にAが訪ねてきた際のことであったかについては、両者の供述はくいちがっていること、供述内容も具体的であるとはいえないことから、両者の各旧供述の右部分の信用性はもともとさして高いものではなく、A、Dの各新供述を併せ考慮すると、A、Dの各旧供述のうち、(ロ)の部分についてはその信用性に疑いがある。
(五) (ハ)については、A、Dの各旧供述はかなり具体的なものである上、特に脅迫の際の請求人の服装については、供述内容はほぼ一致しているが、反面、両旧供述との間には、請求人がけん銃を取り出した時期や方法等につき、不一致があり、これが体験者であれば当然覚えていてしかるべき部分であってみれば、A及びDの右供述部分の信用性はもともとさほど高いものではない上、AがDに宛てた前記書簡等によって証言内容を示唆された疑いが強く、A、Dの各旧供述のうち、(ハ)の部分については、その信用性に疑いがある。
(六) (ニ)についても、A、Dの各旧供述はかなり具体的なものであり、特に、当時の請求人の服装については、ほぼ一致した内容となっている。
しかしながら、覚せい罪の受渡し場所と方法については、両旧供述の間に齟齬がみられる上、右同様、AがDに宛てた前記書簡等によって証言内容を示唆された疑いがあり、A、Dの各旧供述のうち、(ニ)の部分についても、その信用性に疑いがある。
(七) (ホ)については、Dがその旧供述を通じ一貫して述べるところであり、請求人も右事実については、基本的に認めているが、(ホ)の暴行等の動機について、請求人は、Aからの電話でDとAの本件覚せい罪をめぐるトラブルの解決を頼まれたことから、Dに覚せい罪の隠匿場所等を尋ねた際、同人の態度に憤慨して暴力を振るったと弁解しているところ、請求人とAとの親しい関係、請求人が同人に覚せい罪の売りさばき先を紹介したことがあると供述していることに照らすと、請求人の右弁解があながち虚偽であるとみることはできず、(ホ)の供述部分は、本件覚せい罪事犯において請求人が首謀者として関与していたことの裏付けとなるものではない。
(八) 以上によれば、確定一審において、本件覚せい罪事犯の首謀者が請求人であると認定するについての唯一の証拠というべきA、Dの各旧供述は、A、Dの各新供述その他の新証拠によってその信用性が著しく減殺され、A旧供述の(イ)に関する部分、A、Dの各旧供述の(ロ)に関する部分の信用性に疑いが生ずることにより、確定審における請求人とA、さらにはDの間の共謀成立の認定には合理的な疑いが生ずることになる。また、A、Dの各旧供述の(ハ)、(ニ)に関する部分は、請求人の本件関与を、AとDが一致して、かつ、極めて具体的、迫真的に裏付けるものとして、確定一審裁判所の心証形成に決定的な役割を果たした証拠と評価すべきであり、これらの信用性に疑いが生ずることにより、確定一審の事実認定のうち請求人の関与を認めた部分全体について合理的な疑いが生ずる。D旧供述のうち(ホ)に関する部分は、必ずしも請求人が本件に関与していたことを裏付けるという関係にはない。
5 結論
弁護人が新証拠として挙げるもののうち、Aの陳述録音テープ及びその反訳書、Dの原審事実調べにおける証言、Aの前記D宛書簡一三通、国際通話交換証、渡航一覧表と、確定一、二審が取り調べた旧証拠とを総合的に評価すると、確定一審判決が本件覚せい罪事犯につき請求人を有罪と認定するについて根幹となった証拠は、その信用性に重大な疑問があり、これらの新証拠が確定一審の公判審理中に提出されていたならば、有罪認定には到達しなかったであろうと判断せざるをえないから、右新証拠は、確定一審判決の右認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠にあたると言わなければならない。
確定一審判決のうち、本件覚せい罪事犯に関する部分については、刑訴法四三五条六号所定の無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した場合にあたり、本件再審請求には理由がある。
第三当裁判所の判断
検察官の抗告理由の骨子は、原決定が、<1>D新供述やD聴取書二通、Aの前記D宛書簡一三通につき、証拠の新規性を認めたのは、上告審及び従前の再審請求審における審理の経緯に照らし、誤りである上、<2>右各証拠及びA新供述等について、確定一審判決の認定に合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠にあたり、無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」であると判断したのは失当であるとし、請求人の弁解が不合理であるとする点を含め、詳細な主張をしている。
しかしながら、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ考慮するに、原決定は、後記のとおりその理由の一部について当審の判断と異なる点はあるものの、その余の理由及び結論は相当であって、これを維持すべきものと判断した。
一 証拠の新規性について
1 原決定が、A、Dの各新供述、D聴取書二通、Aの前記D宛書簡一三通、前記国際通話交換証、渡航一覧表(ことに検察官が争うDの新供述、聴取書、AのD宛書簡)につき、刑訴法四三五条六号のいわゆる新規性を肯認するのが相当であると判断しているのは正当である。
また、右国際通話交換証と同様、原審で弁護人から提出された弁一六二ないし一六七の国際通話交換証等写し(本件再審記録二一五四~二二一九丁)や、当審で検察官から提出された「差押物件(国際通話交換証)の謄本作成についての復命書写し」(一〇・七・二七付け資料提出書添付)についても新規性が認められる(これらを合わせて、以下「国際架電記録」と総称する。)。
2 所論は、D聴取書二通及びAの前記D宛書簡一三通は、確定上告審係属中に発見され、上告趣意書等に添付された証拠であり、「上告裁判所がその内容を了知し、検討の対象としたとみなされるものである限り、確定前に既に本案裁判所の判断を経由したものと解されるので、新規性に欠けるものというべきである」(東京高決昭和五五年二月五日・判例時報九五七号三頁)ところ、本件では、重大な事実誤認を主張する上告趣意書について、添付資料を含め十分職権調査がなされていることは、確定上告審決定の判文に照らして明らかであるから、これらの証拠をはじめとして、右D聴取書と同内容のD新供述は、新規性を欠くというべきであって、これを肯認した原決定はその判断の前提自体を誤っている、というのである。
しかしながら、上告趣意書等に添付された証拠は、一般には上告趣意の内容を理解させ、あるいはこれを敷衍するという以上の意味を持つものでないことは、原決定説示のとおりであり、これに対し証拠調べがなされず、職権調査の対象となったかも明らかでない場合は、いわゆる新規性を失わないと解すべきであるところ、本件については、確定上告審は、前記引用した判文上、期限内に提出された上告趣意書で主張された「Eメモ」については判断を示したものの、右上告趣意書提出から約一年半後の昭和五九年一一月二七日付け弁護人の上告趣意書(補充)(九)の一ではじめて主張され、提出された所論指摘のD聴取書及びAのD宛書簡については明確な判断を加えていないことが明らかであり(この点について原決定が、上告趣意書に添付されたとするのは、正確でない。)、特に五九・一二・二四付けD聴取書は、上告趣意補充書でも触れられないまま上告審決定に至ったのであって、結局所論指摘の聴取書及び書簡については、上告審が職権調査をし、その証拠価値について判断を加えたとは認めがたく、新規性を有するというべきである(所論引用の高裁決定にかかる原上告審の最高裁昭和五二年八月九日決定・刑集三一巻五号八二一頁は、判文上、上告趣意にある争点ごとに克明な審査がなされたことが明らかであり、本件とは事案を異にする。なお、本件では、他にAの新供述等新規性を有する多数の証拠が存在することは争いがなく、その場合右の聴取書及び書簡もいわゆる総合評価の対象になることは明らかというべきであるから、検察官主張の当否によって、実際において本件の結論が変わるものではない。)。
3 D聴取書二通及びAの前記D宛書簡一三通については、従前の再審請求においても新証拠として提出されているが、原決定説示のとおり、このような証拠であっても、従前の再審請求においては提出されていなかった「新たな証拠」とともに提出された場合には、刑訴法四四七条二項所定の「同一の理由」による請求とみるべきではないと解するのが相当であり、これらは、従前の再審請求において提出されていなかったAの供述を録音したテープ等とともに「新たな証拠」として提出されたものであるから、なお新規性を失わないものと解される(ただし、D聴取書のうち従前の再審請求審に提出されたのは、正確には五九・一一・七付けのもののみ)。
所論は、原決定の理由では、従前の再審請求において新証拠として提出されたものであっても、それまでに提出されなかった何らかの証拠に「新たな証拠」の名を冠して共に提出すれば、全て新規性を取得することになり、実質的には「同一理由」による再審請求が際限もなく続くことになることから、原決定は、証拠の新規性の判断と明白性の判断を混同している、というのである。
しかしながら、所論こそ、再審請求棄却決定の確定力を破るための新証拠の問題(刑訴法四四七条二項)と確定判決を破るための新証拠の問題(刑訴法四三五条六号)を混同しているものと解される。なぜなら、前者は、再審事由として従前主張された同じ理由と同じ証拠資料をもってする限り、再度の再審請求は許されないという意味であるから、それまでの再審請求で提出されなかった新証拠の提出がある限り、右確定力は及ばないことは明らかであり、その場合、従前再審請求に提出された証拠であっても、確定審において証拠価値について判断を加えていないことには変わりがないから、後者について新規性のある証拠とされうべきは当然であり、原決定には、所論が論難するような混同はない。
二 証拠の明白性について
証拠の明白性、すなわち刑訴法四三五条六号所定の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」の意義については、原判決が説示するとおりであり、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうと解すべきであり、その判断は、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、果たしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したか否かという観点から、当の証拠と他の全証拠とを併せて総合的に評価されることになる。
三 確定一審判決の証拠構造及び原決定の判断手法
1 本件覚せい罪事犯の各事実のうち、AがDやBと共謀し、情を知らないCを利用する等して右各犯行に及んだことは、客観的証拠に裏付けられており、これら関係人の供述も一致していることから動かし難い。
そして、請求人が右犯行に共同加功したことを裏付ける直接的証拠は、A、Dの各旧供述のみであり、確定一審裁判所は、同二審裁判所が判断を示しているように、A及びDの各旧供述が具体的かつ詳細で迫真性・脈絡性を有し、客観的事実関係とも一致し、信用できるものと評価し、右各犯行について請求人の有罪を認定したものとみることができる。
2 原決定は、A、Dの各新供述は、それ自体、あるいは相互補強の関係にあることや、AのD宛書簡の裏付けがあることによって一応信用性が認められると判断した上で、旧証拠との総合評価に入っている。そして、A、Dの各旧供述中根幹となる部分として、前記第二、三、4(一)の(イ)ないし(ホ)の諸点を挙げている。これを旧供述の内容に即してより正確に再引用すると、(イ)昭和五五年二月上旬、請求人がAの家から、Aの面前で、韓国の覚せい罪の卸元である「J」に国際電話を入れ、「Aという男を行かせるから会ってくれ。」と話した後、Aに対し、「J」と会うようにと言い、Aは断りきれなくなり、「J」の電話番号をメモした、その後韓国に行ったが結局「J」に会わないまま帰国した、同月二七日ころ、請求人が来宅して「J」に国際電話をし、自分が韓国の「J」さんに会っていないことが分かって追及された(A供述)、(ロ)昭和五五年七月初めころ、AがDに覚せい罪の運び屋を依頼した際、背後に請求人がいると言って脅してDを承諾させた(A・D各供述)、(ハ)同年一一月一日ないし二日ころ、DがAに覚せい罪の密輸入をやめたいと言い、Aがこれを請求人に電話して伝えたところ、請求人にaの請求人方自宅に呼ばれ、同宅一階応接間で拳銃で脅された(A・D各供述)、(ニ)昭和五六年二月一一日ころ、Aは請求人に覚せい罪を渡すのに小倉駅までDに自動車で送ってもらい、小倉駅の新幹線改札口付近で請求人に覚せい罪を渡した、一方Dは、Aを小倉駅まで送った後、待機することになっていた喫茶店からAの跡をつけて行き、小倉駅の改札口付近でAが請求人に覚せい罪を渡しているところを隠れて見た(A・D各供述)、(ホ)Aの逮捕後、Dが請求人方自宅に呼ばれ、そこで「なぜ持って帰らんやったか、どこに置いたか正直に言え。」などと覚せい罪の隠匿場所を追及され、日本刀で腕を突き刺すなどの暴行を加えられ、傷害を負った(D供述)、との諸点である。
そして、原決定は、A、Dの各旧供述は新証拠によって信用性が減殺され、右(イ)ないし(ホ)は、いずれも信用性に乏しいか請求人の本件覚せい罪事犯への関与を裏付ける関係にないと判断して、新証拠が確定審の審理中に提出されていたならば、有罪認定には到達しなかったであろうとの結論を導いている。
ところで、原決定が挙げた前記(イ)ないし(ホ)の諸点は、A、Dの各旧供述の信用性を判断するにあたり欠くことのできない事項と考えられるので、原決定の手法自体は是認され、その内容もおおむね妥当と考えられるが、その判断の中には必ずしも正確でない部分やさほど重要性を有しない部分があり、他にもA、Dの旧・新各供述の信用性を判断するため重要な事項があると考えられるので、所論に対する判断とともに項を改めて検討することにする。
3 次に、所論指摘のとおり、確定一審判決は、その証拠の標目欄に挙示された証拠に照らすと、間接的ではあるが、(ヘ)Bの確定一審における、「覚せい罪を韓国から持ち込むように脅しているのは『aのもん。I』と、Aから聞いた。」旨の証言や、(ト)昭和五六年八月一七日、飯塚市大字b内の請求人所有・管理の平屋倉庫を、請求人の妻M立会いの上、捜索した際、その室内床中央付近に開封された人参茶箱二箱やその中身の人参茶パックが散乱した状態で発見されているところ(確定一審・検六、一二)、右人参茶箱は、かねてDが覚せい罪を隠して本邦に持ち込むのに用いたのと同種のものであって、この点、請求人はこれが前所有者から引き継いだときからあったものと弁解するが(同検九六)、Mは、その検察官調書(同検一一二)で、右倉庫は請求人が約二年半前に入手し、当初は事務所にしようと、若い衆を使ってきれいに片づけ、机が並べられていた、その後、二、三度行ったことがあるが、結局物置代りとなり、約一年半前に最後に行ったときには、人参茶箱等はなかったと供述していることに照らすと、請求人が右倉庫で人参茶箱を開封して、隠匿した覚せい罪を取り出したことを窺わせるものとして、A、Dの各旧供述を裏付けていること、(チ)請求人は、昭和五六年六月一一日夜、A方を尋ねた際、Aが韓国に国際電話をしており、その後、AからDが翌一二日韓国から帰国するので、同人を捕まえて、A方に連れてきて欲しいと頼まれたと供述するところ、請求人の妻であるMは、それより前の同年六月一〇日か一一日の朝に、請求人からDが何時の飛行機で韓国から戻ってくるか航空会社に電話で問い合わせるよう言われたので、航空会社に問い合わせたと供述していること(前掲同検一一二)からすると、請求人自身は、Aから右依頼を受けたとする前から、Dが渡韓していることを知っており、その帰国に重大な関心を抱いていたことは明らかであり、その理由として考えられることは、韓国からの覚せい罪の持ち込みしかないこと等をも、考慮したものと解される。
原決定は、A、Dの各新・旧供述を比較対照して信用性を検討するにあたり、右(ヘ)ないし(チ)の点について触れていないが、のちに述べるとおり右はさほど重要性を有していないと考えられるので、これを論じなかったことは不当とはいえない。
四 新証拠の証拠価値、旧証拠との対比検討
1 Aの供述
(一) 本件再審請求における新証拠の中には、国際架電記録や渡航一覧表等のように、客観的な証拠が存することから、以下、Aの新・旧供述の信用性につき、これら客観的証拠との対比を主としながら、それぞれの供述内容の合理性・信用性を検討するに、これらの客観的新証拠と、Aの新供述には、格別の矛盾点はみられないのに対し、その旧供述とは、随所においてそぐわないばかりか、旧供述に虚偽性さえ窺わせるものとなっており、またその供述内容にも不自然な箇所が散見される(なお、Aは昭和五九年一〇月三日に検察官から事情聴取を受け、請求人が本件覚せい罪事犯の首謀者である旨の供述をなしているが<同日付け検察官調書写し・本件再審記録三九一八丁>、当時Aは本件覚せい罪事犯の共犯者として懲役八年に処せられ、熊本刑務所に服役していたものであり、その内容に徴しても、従前の旧供述に格別信用性を増強するものではない。)。
(二) 新供述
A新供述は、請求人が本件覚せい罪事犯の首謀者である旨のA旧供述を覆し、何ら共犯者として関与するものではないとし、捜査官から示されたDの供述調書に合わせて虚偽の旧供述をしたとする内容となっているところ、旧供述が具体的かつ詳細であるのに対し、新供述の内容は、請求人から拳銃や日本刀で脅かされて怖かったので覚せい罪の密輸入をしたというのは嘘で、請求人は本件覚せい罪事犯の各犯行には関与していない、本件覚せい罪事犯の首謀者はA自身であるなどといったことを概括的に述べるもので、旧供述に比べて抽象的であるばかりか、覚せい罪密輸入の経緯、密輸入ルートの開拓の方法、密輸入や販売状況、資金の流れ等のいわば核心的部分についての供述を欠いている上、新供述は重篤な病状下にあって、本件弁護人らに促される形でなされたものであること、その後間もなく同人が死亡したことによってその供述の真偽を直接確認する方法がないことからすると、もとよりこれのみをもって、新供述が全面的に信用できるとすることは相当でない。ただ、のちに詳述するように、国際架電記録や渡航一覧表によれば、請求人の渡韓状況はAに比して稀であり、韓国、とりわけ覚せい罪の卸元と目される「J」方との国際電話の架電状況も、もっぱらA方とのみであって、請求人方自宅との架電の形跡は全くみられないという状況に照らすと、Aが韓国からの覚せい罪の密輸入を企図・実行した首謀者本人であり、請求人はその犯行に加担していないとするAの新供述の方が実態に沿うものとなっている。以下所論に従い、補足して説明する。
(1) 死を間近に自覚した者であっても、その供述はその者の人生観や宗教観に影響されるところが大きいと考えられ、特に本件のように臨終の際の自白とはいえない場合にあっては、それぞれの思惑や利害関係から完全に開放されているとはいえないから、その供述が常に信用性が高いと断定することができない。この点において、原決定が、死を目前にした者の供述は概して信用性が高いとされていると述べているのは、直ちに賛同しかねるのであるが、原決定は、死を目前にしたことだけでAの新供述の信用性を認めたわけではなく、供述時の状況をも考慮に入れているのであって、さらにこれを検討する必要がある。
Aは、同人自身末期癌の状態にあって死期が迫っていることを承知する中、周囲の者に、請求人のことで隠していることがあると漏らしていたが、自発的に原田香留夫弁護士と連絡をとって自宅に来てもらい、意識清明の状態で(Fの原審証言)、偽証告白をなしたものであり、当時Aに付き添いあるいは看病にあたっていた、甥のGや姉のHの原審での証言を見る限り、Aが周囲から無理に供述を強要された様子はなく、また請求人からの報復を恐れ家族の行く末を案じて供述したとみられる形跡も窺えない。しかも、A新供述である弁一二五の録音テープを再生すると、その最後の方にある原田弁護士からの「私の方からお尋ねしようと思ったのはこれまでで。何かお話を聞くと、三〇分ぐらいしか、よくしゃべれまい、ということを聞いていますからね。」との話しかけに対し、しかもこの答えの途中で田中峯子弁護士が「今日は……」と質問終了の挨拶をしようとするのを遮りながら、Aが淡々と「ただ私も、この覚せい罪に対してはですよ。Iさんは、一切関係ないっちゅうことです。でも、それが、真実やきですね、実際の話しが。だから、うそを言ってどうのこうのないですよ。私も大体、実は早よう、こういうあれをせにゃいかんかったんですよ。……本人も無罪の人間で苦しみよるのですから。……やっぱ、どうしても助けてやりたいと思ってですね……。」と述べた部分(弁一二六の反訳書一四頁には、ここまでの反訳はなく、誤訳を含む不正確なものとなっている。この点はのちにも触れる。)があって、同人の真摯な反省・悔悟の念が明確に示されたものとなっており、これらを考え合わせると、新供述の信用性はかなり高いものと考えられる。
(2) 所論は、原決定は、Aが、請求人の出所後の妻子等への報復を恐れて、偽証告白した疑いがあるとの検察官の主張に対し、請求人がAやその家族らに報復しようとした形跡を全く窺うことはできず、右主張は採用できないと説示するが、右主張は具体的に報復のおそれがあるというものではなく、そのような可能性があることを指摘したものであり、Aがそのような不安から旧供述を覆した疑いがあるとするものであって、原決定の判断は誤りである、というのである。確かに、検察官の主張は、Aが自分の死後、家族へ報復がなされることを案じて偽証告白した可能性を主張するものであるが、Aが可能性としてでも請求人から家族への報復が加えられることを案じていた様子はなく、むしろ反省・悔悟の気持ちから、偽証告白したものと認められることは、前認定のとおりであるから、結局のところ、所論は理由がない。
(3) 所論は、Aが、殺人の前科を有し、性格凶暴、陰険、狡猾な暴力団組長である請求人の報復を恐れずに、あえて同人を陥れてまでして自己の刑の軽減を図ろうとするか疑問であり、その新供述には、偽証をなした動機について、合理的説明がない、というのである。
しかしながら、Aは請求人と幼なじみであり、過去には、請求人に頼まれて見合いの席へ送迎した女性と、その折同宿して請求人に不義理をかけたり、やくざがらみの女性関係のトラブルの解決を頼んだりもしており、Aが一方的に請求人を畏怖するような関係にはなかったものと認められる上、本件一連の、しかも大量の覚せい罪密輸事件の首謀者とされるか否かは、量刑に極めて重大な影響を及ぼすところであり、本件覚せい罪事件の首謀者となれば、重刑が予想されるところであって、しかもAがDに宛てた前記書簡(弁一一四の一)には、「これからの裁判の結果次第では、おそらく長き刑に服するものと思います。そうなれば、私は、もし七年以上の刑であれば、韓国に強制送還の対象になります。」とあって、長期の服役になることを強く恐れていた様子が認められることに照らすと、Aにおいて、偽証をなす動機は十分にあったといえる。
(4) 所論は、A新供述には、<1>Aが本件覚せい罪事犯の首謀者であるなら、当然密輸入した大量の覚せい罪の売りさばき先について答えることができるのに、Aは、その点を問われて「ちょっと分からんですね。」と答え、<2>あるいはBに覚せい罪の運び屋を依頼したことは明らかであるのに、そのような事実を否定し、<3>さらには、自分が請求人を陥れたので、請求人は事件に関係ないなどとするかと思えば、「私、無罪ですけど、それに……されるのにおったわけです、私が。」(弁一二六の反訳書四頁)、「ただ私も、この覚せい罪に対してはそんなことないです。一切関係ないということです。それが真実やで。」(同一四頁)と、自分は事件に一切関係なく無罪であるとするなど、およそ信用性を認めるべき供述でないことは明らかであると主張する。
しかしながら、<1>覚せい罪の売りさばき先はもとより、密輸入の経緯、開拓の方法、密輸入ルートの詳細、資金の流れ等について、供述することは、本件覚せい罪事犯が行われてから約一一年の歳月が経過しているとはいえ、かつての関係者の名を明らかにすることになり、影響するところが大きいので、これに関連する質問に対し、右のように答えを躊躇したとしても、不自然、不合理とはいえず、これをもって、新供述の信用性を左右することにはならない。<2>また、新供述に、所論が主張するような、Bに覚せい罪の運び屋をさせたことを否定するような部分があるとするのは、早計である。所論主張にかかる供述部分は、Aが請求人より韓国からの覚せい罪密輸に協力するよう日本刀で脅されたことがあったかという質問に次いで答えたもので、次のとおりである。
問 それで後、Bさんに運んで欲しいという話しをした時に、あなたが自分はこれを運ばないと殺されるかもしれないと、助けてくれということを言って、そのBさんに運んでもらったというふうに供述されているんですけれども、これは真実ですか。
答 いや。それも嘘です、一切関係ないです。
問 こういう事実もなかったということですね。
答 はい。
というものであるが(右反訳書一〇頁)、その質問は、AがBに頼んで覚せい罪を運んでもらったことを前提としており、Aは、質問の趣旨を、真実請求人から運ばないと殺すと脅されたことがあるかという意味にとって、上記のとおり答えたものと解される。「一切関係ないです」というのも、請求人が事件に関係ないということを意味するものと考えられるところであり、所論はA新供述の全体の文脈を無視して論難しているもので、失当という他ない。
<3>同様に、Aが新供述で、自分が無罪であるとの陳述をなしていると所論が指摘する反訳書四頁部分は、その箇所のみで判断すれば、その主張の如き理解になりかねないが、所論引用部分のAの供述は、さらに続いて「だからIさんと何の関係もないです。そういう事実もない。」という言葉で収まっており、前後の文脈全体を通して理解すれば、Aが無罪といっているのは、自己が偽証するにいたったことにつき、捜査官から押しつけられたためで、その点では自分には責任がないと言いたい趣旨であることは容易に理解されるところである。加えて所論指摘の反訳書一四頁部分は、弁護人側の誤訳であり、録音テープ(弁一二五)を再生しての同部分の正確な反訳は、前出のとおり「ただ、私も、この覚せい罪に対してはですよ、Iさんは、一切関係ないっちゅうことです。」となり、その指摘とは全く逆の意味の供述であって、結局のところ、所論はA新供述を誤解して論難するものであり、失当である。
(三) 旧供述
(1) Aの旧供述によれば、請求人は、昭和五四年暮れ前から覚せい罪密輸入のルートを開拓していたはずであるのに、それまでに請求人が韓国の「J」ら密売人に接触した形跡がない。すなわち、飯塚市内の請求人方から韓国への通話は、後述するとおり、同市内bにある請求人方倉庫から昭和五六年六月一三日になされたNに対するもの以外には一切ない上、渡韓も昭和五四年一二月一〇日がはじめてであり、それだけでは、ほとんど韓国語が話せないという請求人が密輸ルートを開拓することは困難というべきであって、同年一二月に請求人から密輸を強要されたとのAの旧供述は不自然である。もっとも、請求人が従前から自己が所属するO組の組織ぐるみの覚せい罪密輸に係わり密輸ルートを開拓していたとなれば話は別であるが、その後昭和五七年に摘発された、前年からの同組の組織ぐるみによる韓国から密輸入の覚せい罪事犯等における捜査においても、請求人が同組の覚せい罪取引に係わっていた形跡は見いだせていない(弁一四七ないし一五二―起訴状写し三通、冒頭陳述書写し二通、論告要旨写し一通・本件再審記録一五二〇~一五三六丁。弁一五九―「一覧表作成報告書」写し・同一六一一丁。以上は新証拠と認められる。)。
しかも、A旧供述によれば、請求人は、A(と同人を通じてD)に命じて、昭和五五年七月から一〇月にかけて、数回覚せい罪を韓国から持ち込んだこととなるが、渡航一覧表によると、請求人の渡韓は、同年三月の後は同年一一月に飛んでおり、請求人が「J」やKらと電話で接触した形跡もなく、いかにして密輸の話をまとめたかの経緯が明らかでない。これに対し、国際架電記録や渡航一覧表によれば、AやDはこの間に、七、八回渡韓し、A方と「J」方間の約三〇回にのぼる国際通話記録も存する。これらA方・「J」方間の多数の国際電話について、覚せい罪密輸入の首謀者であるとする請求人が、韓国への国際電話をするのに、その都度、わざわざ北九州市内のA方に出向いて、同人方から電話するというのは不自然であり、また、Aが請求人から命じられて電話したとするなら、覚せい罪の密輸入に関しての特異な通話内容であり、何らかの具体的供述があって然るべきところ、かかる供述が全く見られず、不自然なものとなっている。
(2) Aの旧供述と国際架電記録を照合すると、昭和五五年二月五日午前一一時一分から同月二七日午前九時六分からの二回にわたり、請求人が、A方から韓国の「J」方に国際電話をなしたことになるが、丁度その折りは、請求人は、飯塚市内の外科医院に入院中であり、しかも毎日午前一〇時から一一時まで医師の回診があって(Pの確定一審証言)、そのため請求人が医院にいた可能性が高いと認められる上、医院から外出することが可能であったとしても、Aが聞いたとする通話内容からいって、緊急性もないのにわざわざcのA方まで赴く理由に乏しいことから、Aのこの点の旧供述は虚偽の疑いが強く、請求人が確定一審以来主張してきたように、従前の覚せい罪取引に請求人が係わっていたとされる一部につき、アリバイの成立する可能性が認められることにもなる。
(3) A旧供述によれば、同人は、昭和五五年七月初め、請求人に命じられて、Dに覚せい罪の密輸入を頼み、同月か翌八月に密輸に着手したことになるが、Dの新・旧供述及びA、Dの渡韓状況、A方と韓国との国際通話状況に照らし、Aは、それ以前からDをうなどして独自に覚せい罪入りの人参茶箱を運ばせていた可能性が高く、この点のA旧供述の信用性には疑いがあると言わざるをえない。すなわち、Dは、捜査段階の供述(弁五七―五六・八・二〇付け警察官調書写し・確定記録一八八六丁及び確定一審・検一二〇―同月二七付け検察官調書等)からその新・旧供述を通し、一貫して、Aから覚せい罪持ち込みを頼まれる以前に、既に昭和五五年四月と五月の二回にわたり、Aに依頼され韓国から人参茶箱を持ち込んだと述べており、その態様は、その後の覚せい罪持ち込みのそれと同一である上、Dは、Aから覚せい罪の持ち込みを頼まれた際、もう既に人参茶箱に入れて二回覚せい罪を運ばせたと言われたというのであり、現にこれに沿うA及びDの渡航記録もあることに照らし、Dの右供述の信用性は高い。しかも、右のとおり、同年二月五日及び二七日の電話に関するAの旧供述が虚偽である可能性が高いとなれば、A自らが、同年二月中に韓国の覚せい罪の卸元である「J」に国際電話を掛けていたことになり、一層、Aが従前から覚せい罪取引に係わっていたことを窺わせることになる。また、Dの旧供述では、Aは、昭和五六年一月ころ、D方で、覚せい罪の小分けをなし、量目が足りないと不満を言っていたと供述しており、これはAが独自に覚せい罪取引に係わっていたことを示す一事実であり、右推認を補強するものである。もっとも、Aが従前から独自に覚せい罪を取り扱っていたとしても、請求人が本件覚せい罪事犯に係わったことと矛盾しないという考え方もありうるが、Aの旧供述の根幹部分が請求人に脅されてはじめて覚せい罪の密輸に携わるようになったというのであるから、旧供述全体の証明力が減殺されることは免れない。
(4) 確定一審判決のB事件について、A旧供述によれば、同人は、昭和五五年九月末ころ、請求人から親戚のBに覚せい罪の運び屋を頼むように言われ、同人にその旨頼んだところ、同年一〇月二〇日ころ同人の承諾を得ることができた、同月二八日請求人から覚せい罪購入代金に充てるための小切手を手渡された際、韓国の覚せい罪卸元とは請求人自ら連絡をとると言われたということになっている。しかしながら、渡航一覧表及び国際架電記録によれば、その間請求人には、渡韓も韓国と電話連絡をした形跡もないのに対し、Aは同年一〇月になって二回渡韓し、Bが運び屋を承諾するかどうかはっきりしない同月一六日の段階から、Jと電話連絡をしていることが認められ、A旧供述にはそぐわないものとなっている。
(5) A旧供述では、昭和五六年六月一一日、Aは釜山のQ荘に泊まっているDに国際電話し、日本へ持ち込む手はずの覚せい罪について尋ねたところ、韓国の税関でこれを取られたという返事であり、その日は請求人がA方に来宅した事実はないとする一方、請求人は、捜査段階から、同日A方に見舞いに訪れた際、Aが韓国にいるDに電話をかけていたと一貫して供述しているところ、これは、Aが右の国際電話をしたとする点では、両者の供述が一致するだけでなく、現に国際架電記録からも、この供述を裏付けるものとなっていることからすると(同日午後七時三五分と同九時八分に韓国・Q荘の五一―二三―四六六一に通話―弁一六六・本件再審記録二二一二丁)、その場に居合わせたという請求人の右供述は信用しうるところであり、これを否定するAの供述は信用し難い。そうすると、もしA旧供述にあるように、請求人が覚せい罪密輸入の首謀者であるならば、「税関で覚せい罪を取られた。」といった右国際電話の内容からいって、請求人が直接電話を代わってDに事の真相を問い質さないなどということは考えられないのに、これをなしていないのであるから、請求人が覚せい罪密輸入の首謀者であるとする、Aの旧供述はますます虚偽の疑いが濃くなってくる。
(6) A旧供述とその裏付けとなるような他の関係証拠の有無について検討するに、A旧供述によれば、確定一審判決のうち、C事件、D事件における覚せい罪代金合計四七〇万円は全て、請求人から受領したこととなるが、請求人については、かかる資金の出所が裏付けられていないのに対し、Aの新供述のように、右覚せい罪取引を企図したのがAであり、自ら資金を用意したとするならば、Aの旧供述にも触れられているところであるが、弁護士原田香留夫作成の五九・一・二八付けR(弁九四―確定記録二三七〇丁)及びS(弁九五―同記録二三七二丁)からの各聴取書(いずれも、上告審に提出されたものではあるが、D聴取書と同様に新規性が認められる。)によって、Aが覚せい罪の取引に先立って、昭和五六年五月二〇日ころRから額面一四〇万円の手形四枚(額面合計五六〇万円)を借り受けて、これをSの世話で同月二〇日と同月二五日に計四二〇万円で割り引いていることが認められ、その途は明らかでなく、これが覚せい罪仕入れ資金に回された可能性は十分ある。
また、請求人方からは、請求人が韓国からの覚せい罪密輸入の首謀者であることを窺わせる、韓国内の「J」やKを始め、日本国内での覚せい罪の密売先の名簿や、仕入れ・売上帳もしくはそのメモ、覚せい罪小分けのための道具備品一式等の客観的証拠が全く押収されていない(飯塚市大字bの請求人方倉庫から発見された人参茶箱等がかかる物証といえないことは後述のとおり)。
(7) Aの旧供述の内容自体の合理性についてであるが、<1>Aが韓国釜山に在住の愛人Kのことを口にするや、請求人は覚せい罪の運び屋の仲介人になってもらうよう頼めと言ったとするが、初めて耳にした韓国の人を即座に仲介人に利用しようとすること自体、不自然である。<2>また、その話しをKにしたが、一度は断られたとしながら、次に渡韓してKに会ったときには、既に仲介役を承諾していたとするが、AはKとは昵懇の間柄であるから、同女が韓国内でも警察の摘発を受けかねない危険な役割を引き受けることについて、心配はないのか、またどの様な経緯で一旦断った仲介役を引き受けたのかを、当然訊き及んでいるであろうのに、かかる部分の具体的供述が欠落している。<3>Aは請求人から脅されて、やむなくDに覚せい罪を持たせて、韓国から数回、一回につき一キログラム程度密輸入していたことになるが、請求人から謝礼らしい謝礼は貰っていないというのも了解できない。<4>Aは、請求人に言われて、O組から二〇〇万円脅し取られたという念書を書いたことを認めているが、その説明するところでは、如何なる理由・必要があって、かかる念書を作成することになったか、了解し難い。これに対し、請求人が確定一審以来述べるところでは、O組傘下のI組組長であった請求人は、親交を有するAがO組の関係者に覚せい罪をさばいた件で、O組長が請求人に断りもなしに、Aから金員を脅し取るようなことはないと考えていたのに、Aより、O組長から二〇〇万円を脅し取られたと聞いたことから、電話で組事務所に真偽を問い合わせるのに、Aに間違いがないかどうか確認するため念書を書かせたというもので、その趣旨は一応了解しうる。以上Aの旧供述は、それ自体においても不自然・不合理な点がある。
(8) 所論は、A旧供述が信用性のあることを強調し、それが具体的・詳細かつ迫真性に富むことの一つとして、例えば、<1>韓国で購入する覚せい罪の値段について、Aが韓国で交渉したが、請求人の取り決めた二〇〇万円では、折り合えず、結局請求人が直接交渉して金額が決まったとする点を挙げているが、その交渉状況は、Aの旧供述を見ても、具体的に明らかにされているわけではない上、請求人が値段を交渉したことを裏付ける証拠もなく、所論の証拠評価は失当である。<2>また、Bの逮捕を請求人に報告した際、請求人から、絶対に請求人のことを言うな、もし言ったら殺してしまうと脅かされて、もう絶対言いませんと約束させられた、さらにBが逮捕されたことが明らかになった際、請求人から電話があり、他人には請求人のことを話していないだろうなと念を押されたの対し、Dに話していると言ったところ、「そしたら(請求人は)もの凄く腹かいて、あれだけ言うなと言うたとに貴様言うたんか、貴様殺してしまう。」と脅されたとの供述は、極めて迫真性があり、実際に経験せずに話せるものではないとも主張するが、確かに迫真性はあるものの、内容は単純であり、実際に経験せずとも、容易に想像しうる範疇のことであり、所論は失当である。<3>加えて、A旧供述では、請求人の反対尋問に対しても、例えば確定一審第五回公判で、「dのTからUの口座へ振り込まれた金はどういう金か。」との質問に対し、「それは私にはわかりません。Iさんが一番よう知っとるじゃないですか。」と反問している(二七五項)とし、虚偽の供述をしていてこのような反論が即座にできるものでないことは経験上明白であるとも主張するが、問答内容を見ても、ただAが請求人に受けた質問を反問したにすぎず、事実を挙げて反論したものではないから、所論は失当である。
2 Dの供述
(一) 新供述
D新供述は、その旧供述のうち、請求人が本件覚せい罪事犯への関与を示す部分を翻し、Aの口から請求人の名前が出たこともなく、このような偽証をなしたのは、昭和五六年六月二五日深夜、請求人から覚せい罪の隠匿場所を追及され、日本刀で右腕を突き刺されるなどの暴行を受け、傷害を負わされたことから、請求人が従前からの覚せい罪密輸入を含め本件覚せい罪事犯の首謀者と思い込み、請求人に対する憎しみもあって、取調官に迎合して、ありもしない事実を述べたというものであるところ、その供述内容は、原決定説示のとおり、詳細かつ具体的であって、内容に不自然とすべき箇所は存せず、検察官の反対尋問にも格別の破綻を生じておらず、偽証を行った理由も自然かつ合理的であること、右新供述は原審において平成七年二月二八日と同年四月二八日の証人尋問においてなされたものであるが、Dは既に、これに先立つ約一〇年余り前に、同旨の偽証告白をなしている(D聴取書二通)ことにかんがみても、これら聴取書を含め、その信用性を肯定することができる。以下、所論にかんがみ補足して説明する。
(1) 所論は、Dは、出所後で、旧供述は偽証であったとする五九・一一・七付け聴取書作成の直後にあたる同月二二日に大分地方検察庁の検察官から事情聴取を受け、やはり旧供述が正しいことを認めているところ(同日付け検察官調書写し・本件再審記録三九二七丁)、Dは、新供述の中で、仮釈放の取消しを恐れて検察官には嘘の供述をしたものであるとしているが、同人は昭和五八年一二月三日に刑の執行を受け終わっており(前科調書写し・本件再審記録三九四一丁)、自身、原審での証人調べにおいて、右検事調べの時期について、「仮釈放が解けてから間がない時期だったと思う。」(第二回五七八項)、「仮釈放は終わっていた。」(第二回五八九項)と答えており、仮出獄期間が終了していたことを認識していたものであって、仮出獄取消への懸念から、検察官に対し真実を述べられなかったとするのは、この客観的事実に反しており、新供述における右弁解は信用できない、というのである。
しかしながら、Dにおいては、検察官に呼び出され、旧供述を覆した理由を追及されて困惑し、法律には素人である同人において、かつての証言が虚偽であると述べることによって、あるいは仮釈放が取り消されたり、何らかの不利益な処分を受けることになるのではとの懸念を持ち、さらには仕事を休んで何度も呼ばれたくないとの気持ちから、検察官に迎合して供述したものと理解できないわけではなく、このような心境を、Dは仮釈放の取消を恐れて検察官に嘘の供述をしたと述べたものと解されるのであって、その表現は正確とはいえないが、新供述の信用性を左右するものではない。しかも、Dは右検事調べの約一か月後の昭和五九年一二月二四日にも再び同様の偽証告白をしている(弁一三〇)こと、右検察官調書は、確定一審における証言は正しかったとする極めて抽象的な内容にとどまるものであることに照らすと、これをもってD新供述の信用性を揺るがすことはできない。
(2) 所論は、D傷害事件における、請求人のDに対する暴行時の言動は、同人が、D事件において予定に反して韓国から覚せい罪を持ち帰らなかったことが原因であり、請求人がこれに深く係わっていることを示すものであるから、Dが請求人を従前からの覚せい罪密輸入の首謀者と確信したのは当然であるのに、原決定はこれを単なる思い込みと評価しており、不当であると主張するが、請求人の右言動をもって、請求人が従前からの覚せい罪密輸入をはじめ本件覚せい罪事犯の首謀者や共犯者であることを認定しうる証拠とすることができないことは、後述のとおりであり、右言動とDの新供述とは内容が矛盾するものではなく、その信用性を否定することにはならないというべきであるから、原決定の判断に誤りはない。
(3) 所論は、Dの新供述では、偽証をした理由として、請求人から暴行、傷害を受けて憎悪したためであるというところ、その傷害は比較的軽微であり、憎悪ゆえに、堅気のDが、暴力団組長の請求人を罪に陥れてまで、虚偽の供述をするとは考えられないと主張するが、Dにおいては、請求人から暴行を受けたときの言動により、請求人が首謀者だと思い込んでいたため、同人が処罰を受けるのは当然と思い、ことさら罪に陥れるという意味での虚偽の供述をするという深刻な認識、罪悪感に欠けていたものと考えられ、不本意に自己が覚せい罪事犯に係わりを持たされたことに対する不満や、今後とも付きまとわれてひどい目に遭わされるのではないかという怖れもあって、偽証に及んだと考えたとしても、不自然・不合理はない。
所論は、Dは、仮にその新供述にあるように請求人が覚せい罪密輸入の首謀者であるということが虚偽ならば、確定一審公判において、請求人の執拗な反対尋問に耐えてその虚偽供述を維持する必要はなかったはずであるとも主張するが、Dの新供述にあるように、同人は、請求人を従前の覚せい罪密輸入をはじめ、とりわけD事件の首謀者と思い込んでいた状態で、既に捜査段階で捜査官に、虚偽を織り交ぜた供述をなしていたところであり、自ら刑事被告人として一審公判中の身にあったことをも考えると、同人が捜査官の意に沿う従前の供述を撤回することは困難というべきであるから、所論は失当である。
(4) 所論は、D新供述では、請求人方に赴いた回数、時期が、曖昧で変転したものとなっているとするが、その供述状況を見る限り、Dにおいては、記憶を辿りながら答弁した様子が見受けられ(それも、弁護人の質問内容が、時期を不規則に前後し、証人の理解に混乱を生じやすいものであった事情が窺える。)、要は、いずれもAとともに、かねて請求人から暴行を振るわれたとしていたころにまず一回行ったことがあるが、自分は家の中に入らなかった、二回目は昭和五六年一月で請求人方を訪れた後、料理屋に行っており、三回目は請求人から傷害を受けたときで、現実に請求人方に入ったのは二度であるという供述と理解されるところであり、記憶を喚起しながらの供述の途中で曖昧な箇所があったとしても、やむをえないところであり、供述そのものの信用性を減殺するものではない。
所論は、また、D新供述では、同人がL及びKと会った経緯、密輸入の経緯、回数が、支離滅裂であるとするが、密輸入の経緯や回数(結局未遂を含め四回とする。)に関する供述を精査するも支離滅裂とは認められず、L、Kと会った経緯については、Aの紹介であることでは一貫しており、ただその時期に若干前後があるものの、既に当時から約一五年を経過し、記憶が曖昧なものとなるのは避けられないところであり、新供述の信用性を左右するものではない。
(5) 所論は、Dの偽証告白は、反省・悔悟した結果による真摯な自発的なものとは認められず、信用性がないとするが、弁護人田中峯子からの誘導的ではあるが「(Iの裁判では、本当のことをいうべきところを、)Iに対する憎しみとか、もう警察で供述してしまったとか、そういうこともあって、ずっとそのまま証言してしまったというのが真実なんですね。」との問に対し、Dはその誘導を越えて、「そうです。それで堪り兼ねて、私出所して先生方にお願いしたわけです。」、「そういう事実は嘘ですというようなことをはっきり伝えて下さいというようなことを、先生方にお願いしたはずです。」と答えているところであり(原審一回尋問三四五項、三四六項)、これによれば自ら進んで偽証告白を申し出たことを十分窺うことができ、新供述全体を見る限り、偽証告白が反省・悔悟によるものであるとみて差し支えはない。
(二) 旧供述
他方、D旧供述については、A旧供述とは異なり、基本的には、新証拠にある前記客観的資料との不一致はみられないものの(この点は、D新供述も同様)、請求人が本件覚せい罪事犯の首謀者として関与していたとするのに、最大の根拠付けとなったと見られる前記三、2、(ハ)の拳銃で脅迫された事実に相応する供述部分に、次の看過できない疑問が認められる。すなわち、Dの旧供述では、請求人は同人方一階応接間の金庫の裏側、棚の方から拳銃を取り出したとあるところ、同室内の実況見分がなされていないのみならず、上告審で弁護人から提出された請求人方一階の応接間と思われる写真(弁一〇六・確定記録二八一七丁―前記D聴取書と同様に新規性が認められる。)によれば、金庫の裏に棚はなく、拳銃を置けるようなスペースもないことからして、現場室内と供述が重要な点で一致していない疑いがある。
3 Aからの前記D宛書簡一三通
原決定は、右一三通の書簡の内容は、まさにAのDに対する偽証の働きかけにほかならないと説示するが、その内容をみるかぎり、直ちにそのような趣旨であるとは解されないものの、所論が主張するように、AがDに対し、請求人の公判で勇気をもって真実を述べるように依頼した趣旨であるとするにしては、その趣旨を超えて余りに具体的な事実が書かれているだけでなく、文中の表現にはしばしば「……したはずです。」といった、単に事実をありのまま証言するようにとの趣旨にはそぐわない記載がみられるところであり、A新供述には「警察から『Dがこう言っているぞ。』というので、私がそれに合わせて、同じように言った。そしてまた裁判で今後こういう話が覆ると困るということでD宛に手紙を書いた。」とある上、D新供述にも、右書簡の趣旨を、Aから従前の供述を維持するようにと示唆するものと理解した旨の供述があることに照らすと、右書簡は全体として、よりA、Dの各新供述にある趣旨に沿うもの、すなわち偽証を示唆するものと窺うことができるのであり、AとDの旧供述中に一致する部分が多いとしても、直ちにその証明力が高いということはできない。
(なお、A、Dの各新供述によれば、概要、捜査段階において、Dがまず虚偽の事実を述べ、Aはこれに追従する形で、同旨の供述をなしたことになるところ、弁護人側提出の多数に及ぶ同人らの捜査官に対する供述調書を見る限り、その供述経過は、これに沿うものとなっている。)
4 小括
AとDの各新供述は、その各旧供述がそうであったように、相互に補強しあう関係にあるというべきであり、両者の新供述は相互に補完し、信用性は高く、これらは客観的証拠とも照応し、またAの前記D宛書簡一三通もAがDに偽証を示唆したことを窺わせるものとして、右各新供述の信用性をより補強するものといえるのに対し、とりわけ、Aの旧供述は、新証拠として提出された渡航記録や国際架電記録といった客観的証拠との不一致、矛盾が認められ、内容自体も不自然・不合理な箇所が散見されることから信用性に乏しく、これに相応するDの旧供述自体にも右のとおり看過できない疑問もあって、信用性が全般的に低いことになる。弁護人は、原審及び当審において、A、Dの旧供述と右の客観的証拠との不一致につき詳細な主張をしているが、これに対し検察官は有効な反論をしていない。
五 他の証拠、請求人の弁解
1 状況証拠等
そのほか、請求人が本件覚せい罪事犯への関与を窺わせるものとして、前記三、2の(ホ)及び3の(へ)ないし(チ)で掲げた間接証拠・状況証拠があるので、これを検討するに、以下のとおり、右関与を肯認しうるような証拠と評価することはできない。
(一) D傷害事件
前記三、2の(ホ)のD傷害事件は、Dが新・旧供述を通して一貫して述べるところであり、その際の請求人のDに対する言動も、「なぜ、持って帰らんやったか、どこに置いたか。正直に言え。」等と言って、同人が韓国から持ち帰ることになっていた覚せい罪の所在を追及し、日本刀で腕を突き刺すなどの暴行を加えて、傷害まで負わせたというもので、請求人も基本的には右事実を認めるところであるから、かかる請求人の言動があったことは明らかであり、この事実は請求人が従前からの覚せい罪密輸入、とりわけD事件に何らかの形で係わっていたことを窺わせるものとみることも可能である。
しかしながら、請求人は、かかる言動に及んだ動機について、昭和五六年六月一九日に、Aから電話があり、その内容は、義弟のCが逮捕され、自分も逮捕されるかも知れない、ついては、Dに覚せい罪代金を渡して渡韓させたのに、同人が覚せい罪を持ち帰らなかった件について、Dから金を取り戻して家族に渡して欲しいというものであり、そこで同月二五日深夜、自宅で、Dに覚せい罪の隠匿場所を追及したところ、Dの対応に憤慨して暴力を振るうことになった、と弁解するところであり、右弁解は一応納得することができるので、D傷害事件をもって直ちに請求人がD事件に係わっていた証跡とみることは相当でない。
ところで、Dの旧供述によれば、Dは、これより前の同年六月一六日、自宅に訪ねてきたAに言われて、覚せい罪を預けた旅館Q荘のVに電話(五一―二三―四六六二)し、Aも電話を代わって、韓国に行くとか話していた、翌一七日も訪ねて来たAに言われて、Q荘に電話(五一―二三―四六六一と同四六六二)したところ、ボーイ主任から、Vがその荷物を持って逃げたと言われたとしており、右架電状況は国際架電記録(前掲弁一六六・本件再審記録二二一二丁、二二一七丁)によって裏付けられているところ、仮に請求人が首謀者であれば、同人はこの間の事情をその後Aから聞かないはずはないから、D傷害事件においてDに対しかかる情報を基にした追及をなしていないのはあまりにも不自然ということになる。これは、かえって、請求人はAから右の報告を受けていなかった、したがって首謀者や共犯者ではなく、その弁解どおりの経緯であったことの証左とさえいえる。そのことは、請求人がDを追及する場に、配下の者でもない、Aの弟を終始同席させていることからも了解しうる。
(二) Bの確定一審証言(前記三、3の(へ))
Bは、確定一審裁判所による期日外尋問(昭和五七年六月一〇日)において、「覚せい罪を韓国から持込むように脅しているのは『aのもん。I』と、Aから聞いた。」旨の証言をしているが、そもそもこれはAから聞いた伝聞であるだけでなく、同証言によれば、これに先立つ同女に対する昭和五六年八月一九日の検事調べにおいては、「Iという人は知りませんか。」と問われ、写真も見せられて、Aを脅しているのは「I」と聞いていると答えたともしているのに、Bの同日付け検察官調書写し(弁一―確定記録九四一丁)では、「『aのもんから。』とは聞いたが、『名前は言われない。』とそれ以上詳しくは聞かなかった。」「Aから『I』という名前を聞いたことはない。」等となっているのであって、仮に同人がB事件の真相解明の手掛りとなるような右重要な供述をなしていたとすれば、検察官がこれを取り違えて、せっかくの手掛りを敢えて失うような供述録取をするはずはないから、同人の右証言自体、信用性に欠けるものと言わざるをえない。
(三) 請求人方倉庫から発見された人参茶箱等(前記三、3の(ト))
請求人所有のbの倉庫から、散乱した状態で、人参茶箱等が発見されたことは前述のとおりであるが、その人参茶箱自体、市販のものであり、それから覚せい罪が微量でも検出されたわけでもないから、これをもって、請求人の本件覚せい罪事犯への関与を推知させる証拠とすることはできない。
(四) 請求人が妻に指示してなしたDの帰国搭乗便の問い合わせ(前記三、3の(チ))
請求人の妻であるMの供述(前掲確定一審・検一一二の検察官調書)によれば、前述のとおり、同人は、昭和五六年六月一〇日か一一日の朝に、請求人からDが何時の飛行機で韓国から戻ってくるか航空会社に電話で問い合わせるよう言われたとするもので、これは、請求人自身が、かねてから、Dが渡韓していることを知っており、その帰国に重大な関心を抱いていたことを示すものではないかと疑われる事情はあるが、右検察官調書では、Mが如何なる根拠で、一〇日か一一日の朝と特定して供述したか示されておらず、三か月前のことを、記憶を頼りに誘導を受け(捜査官側においては、既にAの取調べをなして、その供述を前提にMの取調べにあたっていたものと考えられる。)、格別それがどのような意味を有するかも分からず、適当な受け答えをなした可能性もあり、請求人が一一日AからDの帰国を聞いたとする(同日夜、Aが同人方から在韓のDと電話連絡をとっていたことは、国際架電記録の裏付けがある。)以前から、Dの渡韓を承知していた証拠とすることはできない。
2 請求人の弁解の合理性
請求人の弁解の合理性については、検察官からるる批判がなされているところであり、A・Dの各新・旧供述の信用性を判断する一資料ともなるので、併せて検討するに、請求人が確定一、二審及び原審において供述するところは、一貫している上、Aが単独、又はDらをい、覚せい罪を韓国から密輸入し、売りさばいていた様子や、Aから頼まれて、知り合いの組員を紹介するなどの便宜を図り、あるいはAの覚せい罪取引に絡むもめ事に関与した経緯、状況を具体的かつ詳細に供述しており、その供述自体に不自然・不合理と見られるべき箇所はみられない。服役しながら、約一八年もの長期間にわたり、一貫した弁解を、揺るぎなく保持していること自体、請求人の供述の信用性を積極評価する一つの資料とすることができるものと考える。加えて、捜査段階において、何ら具体的に追及されてもいない、B事件の共犯者がAであることを警察に密告したということは、同事件に係わっていないとする請求人の供述の信用性を裏付けるものとするのが素直な見方である。同事件での覚せい罪の量は、二九四三・七グラムで、C事件の九七八・二グラムをはるかに超えるものであり、もしB事件に自己が係わっていたとしたら、そのまま隠しこそすれ、再捜査が開始されて、数段重く処罰されることになりかねない密告をするようなことはとうてい考えられないところである。また、請求人は捜査段階から一貫して、自宅から韓国へ国際電話を掛けたことは一度もなく、唯一、昭和五六年六月一三日朝に一回bの倉庫(e―f―g)から韓国のN(hi―j)宛に国際電話をかけたことがあるだけであると再三強調していたが(確定一審・検七二―五六・七・二七付け、同四六―同月・三一付け、同七七―同年・八・六付け、同七八―同月・七付けの各警察官調書)、当審になって検察官から提出された資料中の国際架電記録には、右六月一三日の午前七時二一分に右架電の事実を示す国際通話交換証の写しがみられ、これにより証明されるところとなっている。以下、所論にかんがみ検討する。
(一) 所論は、請求人の捜査段階の供述では、C事件の直前になる昭和五六年六月一四日の渡韓費用について、「金融業の資金」「義父から一〇〇万円借りた。」「農協から預金を下ろすつもりであったが、家に現金を置いておくと盗難のおそれがあったので、一四日(日曜)の前々日の一二日に義父から借りた。」と変遷している上、請求人は金融業を経営するものの、ローンの支払いもあり「生活は苦しい方だった」のに、商売の金をうなり借金してまで、大金をって、韓国へ女遊びに行くというのは、不自然であると主張する。
しかしながら、請求人が当初は、義父に対する取調べがなされ迷惑となることを避けようとして当たり触りのない供述をしていたものと考えて不自然ではなく、また自己の資金よりも義父から借金した方が都合が良いという打算がはたらいたとしても理解できるところである。さらに、請求人が、この程度の遊興をしたからといって、格別不自然な行為とまではいえない。
(二) 所論は、捜査段階及び確定一審公判での請求人の供述は、Cが逮捕された昭和五六年六月一九日の夜の請求人とAとの電話連絡の状況や内容が転々としている、というのであるが、所論指摘の電話連絡状況の変遷も重要な部分に係わるものではなく、通話内容の変遷についても、捜査段階の当初、Dからの取立てを頼まれた金員が密輸に係わるものと聞いてなかったと供述をしていたのは、そのような話しを聞いていたとすると、自分が覚せい罪に係わっているものと疑われるのではないかとの懸念から、触れなかったものと考えることができるのであり、不自然な変遷であるとすることはできない。
(三) 所論は、請求人の供述にもあるように、Aが請求人に、Dからの覚せい罪に絡む金銭の取戻しを頼んだり、まして覚せい罪を売りさばくことを依頼してきたというのは、請求人が覚せい罪取引に絡んでいたことを意味する以外のなにものでもない、なぜなら、取引に無関係な者にこのようなことを依頼するのは余りにも不自然だからである、と主張する。
しかしながら、所論も指摘するとおり、Aが、自分が逮捕された後の家族のために金を回収する手段として、暴力団で押し出しの効く請求人に頼む気になったと考えるのは自然である。Aにおいては、過去に金銭面で、請求人から損害を受けたことがあったとしても、他にこのような仕事を頼める者がいないとなれば、やはり頼むしかないはずである。
さらに所論は、仮に右のとおりとすれば、請求人がなぜDのことだけを警察に話し、同様にAから聞いたとする、覚せい罪代金の未払いがあるWのことや、余所に隠してあるという覚せい罪のことを、確定一審公判になるまで話さなかったのか理解できないと主張する。
とはいっても、暴力団組長でもあった請求人にとって、Aから聞いた不確かな話しを、洗いざらい警察に話しても、それが事実であることが証明されないとかえって、虚偽の事実を語るものとして、嫌疑を深めかねない一方、多数の関係者に迷惑を及ぼしかねないことから、Aから聞知した内容全てを警察に明かすのを避けたものと考えて不自然ではない。
(四) 所論は、請求人のDに対する前記暴行の態様や言動は、Aから「Dに覚せい罪を取られたので、金を取ってくれ」と頼まれたにしては、過激過ぎると主張するが、請求人は暴力団組長であり、かねてAから、Dが覚せい罪取引に係わっていると聞いており、同人を多少痛めつけても、警察に訴え出るようなことはしないものと考え、かような暴行に出たとして何ら不自然ではない。
(五) 確定一審(第七回公判)における、請求人のDに対する反対尋問の中の発言には、請求人が覚せい罪取引に係わっていないなら関心を持つはずもない「あなたがAから猫ばばした覚せい罪をどこに隠していますか。正直に法廷で言うて下さい。」との質問(一九九項)をしていると主張するが、これは、請求人がDの供述の虚偽性を明らかにしようと、隠匿場所を明らかにさせ、それを手がかりにさらに追及しようとの発問と見られないでもなく、所論はその趣旨を誤解するものである。
所論は、また請求人が、同年六月一二日に単独で福岡空港で、Dを待ち伏せたのは、首謀者だからではないかとも主張するが、請求人の弁解どおり、Aに頼まれたこととして格別不合理ではなく、所論のとおりであれば、容易にDを取り逃がすとは考えられず、またその夜なり、翌日にD方に出向かないはずもないのに、かかる行動に出ていないことからいって、請求人が首謀者であるとの一資料とすることはできない。
六 総合評価、結論
以上によれば、本件確定判決において、本件覚せい罪事犯の首謀者が請求人であると認定するに根幹となったA、Dの各旧供述は、共犯者としての関与すら否定する新証拠たるA・Dの各新供述をはじめ、新証拠として提出された他の客観的証拠や従前の証拠を総合し、内容自体の合理性をも検討すると、その信用性は著しく減殺されるところであり、他に請求人が右犯行に共犯者として関与していたことを認めうる証拠はない上、かえって本件犯行への関与を全面的に否定する請求人の弁解の合理性が肯定される。したがって、右新証拠等が確定審の公判審理に提出されていたならば、本件覚せい罪事犯につき有罪の認定に到達しなかったであろうと判断されるから、右新証拠等は、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠であるといわなければならない。
してみると、確定判決の本件覚せい罪事犯に関する部分については、刑訴法四三五条六号所定の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見した」場合にあたるから、これと併合罪として処理された争いのないD傷害事件を含め、本件再審を開始するとした原決定は正当である。
よって、検察官の抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、刑訴法四二六条一項後段により、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 清田賢 裁判官 坂主勉 裁判官 林田宗一)